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慢性骨髄性白血病(CML)の情報サイト

慢性骨髄性白血病(CML)発症後年数6年の杉原明さんの体験記。還暦を迎えたその年にCMLを発病。当初、服薬治療を行ったが肝臓の悪化で自己注射に変更。現在は新薬の治験に参加しながら治療を続け、嘱託の仕事や海外旅行など活動の幅を広げている。CMLを発症してからどう向き合い、生活や仕事の不安をどのように乗り越えて生活を送っているのか体験記を紹介したページです。

杉原 明 さん

杉原 明 さん (66歳)

CML発症後年数:6年
CML治療に専念するため、3年8ヵ月間仕事をやめていたが、物流関係の会社に嘱託で週に1回の勤務を再開したばかり
(2011年10月取材)

取材者より

還暦を迎えたその年にCMLを発病。
それまでは健康そのもので、まさに青天の霹靂。
現在は新薬の治験に参加しながら治療を続け、元来活動的であった杉原さんは、嘱託の仕事や海外旅行など徐々に活動範囲を広げてらっしゃいます。
奥様を大切にされ、ご夫婦の仲むつまじい姿とお二人の笑顔が印象的でした。

スキューバダイビング中に起こった青天の霹靂

発病は38年間勤めた税関の仕事をリタイアして、第二の職場で働きはじめて3年目のことでした。会社が行う年に1回の人間ドックを受けたのです。それまで、お酒による肝臓の値が高いことをのぞけば、何も問題なく健康に過ごしていました。そのときは健康診断に備え、お酒もやめて少し静養していたので、結果は自信満々でした。ドックの最後に医師から簡単な説明を聞いたときも、「血液検査だけは検査機関に送るけれども、健康ですからいいですよ」と言われていました。
1週間ぐらい経って、休暇でスキューバダイビングをしていた時のことです。携帯電話が何度も鳴り、何かと思ったら会社の嘱託医からでした。
「ちょっと血液検査に異常があります。いま何をされていますか?」と聞かれたので、「いま休暇中でスキューバダイビングしています。」と答えると、あわてた様子で「それはすぐにやめて、家に帰って静養して明日診察に来てください。」と言われました。次の日、嘱託医のところに行くと、「血液検査の値に異常があり、たぶん白血病だと思います。もう一度、血液内科の専門の医師がいる病院で再検査を受けてください」と言われました。私はまさかと思いました。自覚症状は全くなかったのです。少し疲れやすいということはありましたが、「もういままでのようには無理がきかない年なのかな」ぐらいに思っていたのです。 病院で再検査を受け、「慢性骨髄性白血病(CML)」と診断されました。担当の先生は「前はこの病気は不治の病だと言われて、心配されたと思いますが、今は特効薬があるから心配しなくていいですよ」と言われました。私も、その前に調べてそういう薬があることは知っていたから、助かったかなと思っていました。2005年の9月、60歳のときのことでした。

働きながらでも治療できるということもあり、診断されてまもなく内服薬を開始しました。しかし、以前から肝臓の値が高かったこともあり、治療を始めてさらに肝臓の値が上がってしまい、「いったん中止して、肝臓の値が下がってから、もう一回トライします。そのときはゆっくり体を休ませるために、入院してもらいますね」と先生から言われました。その後、肝臓の値が下がり、再度試みたのですが、1回目と同様、薬を継続することが出来ませんでした。3度目には薬の量を減らして試しました。最初の1週間くらいはよかったのですが、2週間目くらいに先生から、「これ以上やったら肝臓が壊れます。杉原さんの場合、このお薬はあきらめざるをえないかな」とおっしゃいました。肝臓が壊れるなら仕方ないなと、内服をあきらめ、最終的には以前から確立された治療法ということで、毎日自己注射をする治療に落ち着きました。
1回目の入院の時に友人が遠方から見舞いに来てくれたのは、とてもありがたかったです。入院してわかったのは、自分が思ってもいない人が見舞いに来てくれたり、反対に、いままで親しそうにしていた人が来なかったりして、友達というのはこういうものかなと思いました。あのときに来てくれて、親身になってくれた人が本当の友達だと思いましたね。
「おまえ一人で悩むことはないよ。友達がいっぱいいるから。何とかなるよ。」と声をかけてくれ、だいぶ元気になりました。自分だけで悩むのは大変ですが、友達が心配して、こうしたほうがいいとか、こういう治療法もあるとか、いろいろ意見を言ってくれたことがとても役に立ち、励まされました。自己注射をはじめてからは、妻や子どもが支えてくれました。
発病後もずっと会社に勤めていましたが、契約の期限が来ていたことや、注射をしながら会社に行くのは、とても辛く、時々休むこともあり、会社にも迷惑をかけたくなかったので治療に専念することにして退職しました。それが発病後2年くらいの時です。 そのころはCMLの状態はおちついていましたが、会社を辞めて生活のリズムがすっかり狂っていました。朝ご飯を食べた後、二度寝をして次に起きると午後になっていたこともありました。厭世感(えんせいかん)もあり、気分が落ちこんだり、ささいなことですぐに腹を立てたりしていました。
以前なら何でもない掃除機の音をやかましい、眠れない、わざとしている、「おまえは俺をばかにしている」などと妻に対して言ったり、また、子どもに対しても、変なことで因縁をつけて腹を立てていました。
そのときも妻と子どもは黙って、「お父さんは病気だからがんばってね。会社も行かんでいいからね」と言ってくれていました。
妻に白血病になったことを言ったら、最初は信用しませんでしたが、その後は「なったことは仕方ないね」と言っていました。妻も子供もインターネットで病気のことを調べたり、友人に聞いたりしていたようです。家族は、以前と変わらずに接してくれていましたが、内実はけっこう大変だっただろうと思います。でも、親身になって助けてくれました。その当時はわからなかったけれど、後になって本当にありがたいことだと気づきました。いまでは非常に感謝しています。

妻や子どもが治療を支えてくれました。

妻や子どもが治療を支えてくれました。

医師や医療スタッフとの信頼関係の中での治療

2年前の春、主治医から電話があって、「今、ある病院で治験(「くすりの候補」を用いて、人での効果と安全性を調べる試験)をしていて、該当する人を求めています。杉原さんはその条件に合うようなので、よかったらどうですか」という話でした。新しい薬だったけれども、「その薬を試してみて、もしもだめだったら、その時点で既に出ている薬に替えればいいんですよ」と先生もおっしゃってくださり、「僕はそちらに賭けます」と言ったのです。
事前の検査もクリアし、治験の薬の内服を開始しました。はじめてすぐに副作用が出たので、一度中断し、量を減らして再開しましたが、その後は同じ量を継続しています。血色もずいぶんよくなりました。現在は治療開始から約2年半がたち、3ヵ月に1回検査に行っています。
主治医やコーディネーターをはじめ医療スタッフの方々は、病気や治療について一生懸命説明してくださり、全幅の信頼を置いています。私は何かを聞きたい、話したい時はメモに書いておいてポイントを話せるようにしています。先生はそんなに暇ではなく、ある程度限られた時間しかありませんから、そうすることで言い足りなかったということも解消されます。
医師とうまく話せるかは、本人の努力も必要だと思っています。自分の体のことですから、なにもかも人任せにせず、まず自分で調べて、勉強してから医師に質問するように心がけています。

僕は音楽が好きで、気分転換のひとつにはジャズやクラシック、シャンソンなどを聴きます。
病気になるまでは、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスなどの元気なジャズを聴くと、前向きな気持ちになるような気がしていましたが、最近はキース・ジャレットのような落ち着いた曲を聴きます。静かで、考える時間を持てて、心が落ち着きます。ジョン・コルトレーンやマイルス・ディヴィスは今も好きではあるけれど、よりおとなしいスタンダードナンバーを好むようになりました。クラシックも同じで、大音量でガーッと来るような交響曲、特にベートーベンは全然だめになりました。今は甘いモーツアルトや、スペインに行ったときの思い出もあり、ロドリーゴのアランフェス協奏曲が好きです。シャンソンではシャルル・アズナブールが好きなんですよ。三十数年前に福岡で彼のコンサートがあり、その時、行ったんです。その思い出があるから、あの人はいまでも好きです。あの人の歌はしみじみとしたものだからね。ウィスキーを飲みながら音楽を聴くととても気分が安らぎます(笑)。

スタンダードナンバー

病気になってからは、スタンダードナンバーを好むようになりました。

夢は妻とともに地中海クルーズ

治験の薬をはじめてからは海外旅行にも行けるようになりました。注射を打っていたときは、出入国の検査の際に注射のことを説明するのが嫌で、近場の台湾と国内の温泉どまりでした。説明書を書いてあげるから、と主治医の先生も言ってくださったけれど、そこまでしたくなかったのです。
今は飲み薬だけですから、安心して気兼ねなしに遠い国へ行けます。
夢は妻と地中海クルーズに行くことです。
今年の5月にイタリアのローマ、フィレンツェ、ナポリ、ベネチア、ミラノに行きました。ベネチアにいたとき、港に停泊していたクルーズ船からたくさんの観光客が降りてくるのを見つけたんです。その立派な大型旅客船を見て、一生に1回でいいから、妻と2人で行きたいなぁと思いました。
旅行は移動するたびに荷物を持ち歩かなければならないのが面倒ですが、クルーズなら、重いスーツケースのことを心配することなく、部屋にそのままおいて各地をゆったり回ることができます。少し費用はかかるようですが、ぜひ実現させたいと思っています。

一人で悩まず、患者同士で話すことも大切

患者会で話をすることもとてもいいと思っています。家族に話せないことがあっても、同じ患者の立場で、同じ目線、同じレベルで悩みを話せます。お互いに他人同士で利害関係もないから、意外とうまく話せるということもあります。
患者会の活動を通して、CMLの仲間にいつも言っていることがあるんです。
「十数年前までCMLはほとんど不治の病でした。でも、いまは薬で治せるということです。薬は日進月歩で進んできています。CMLになるのは10万人に1人の確率であるけれども、聞いたらショックですよね。
でも、いまは何とかなる。明るい展望は必ず開けるから、くよくよしても仕方がないからね、必ず明日がありますよ」って。

苦楽を共にしたカンペール

10年前、尊敬する人から、とても履きやすいとカンペールの靴を勧められました。早速、モスグリーンとベージュのコンビの小粋な革靴を買い求め、その時にスペイン製と知りました。
若い時は堅牢なリーガル製品を愛用していましたが、年を重ねると重くなり、その点カンペールは軽く、履き心地がとても良いのです。休日用のタウンシューズとして買い物、映画、また、国内の温泉めぐり、海外旅行にも「カンペール」で出かけ、心も体も軽く感じていました。
10年間、晴れの日も雨の日も現役で頑張ってくれましたが、色が少しあせ、底も減ってきたので、そろそろ定年と考え、今年の夏に別のタウンシューズに買い換えました。
カンペールを履いてきた10年を振り返れば、前半は全てにおいて順調でしたが、後半には波乱が起こりました。長い間勤めた男性中心の職場を辞め、女性中心の第2の職場に勤め、なんとか馴染み、節目の60歳を過ぎほっとした時期に、突然のCML発症です。CMLは不治の病ではないと知っていたものの、10万人に数名の確率なのに、何故自分なのかと落ち込みました。仕事を辞め治療に専念し、紆余曲折ありましたが、2年前から治験に参加し、体調は回復し元気になりました。
ところが、最近帯状疱疹が顔に出来、苦しんでいます。死ぬことはないですが、大変な苦痛を味わっています。まさか、捨て去った「カンペール」のたたりではないと思うのですが、この病気が治ったら、捨てるつもりで物置に放置していたカンペールにクリームを塗布し、丁寧に磨きをかけ、大事に保管するつもりです。

これからも大切にしたいカンペール

これからも大切にしたいカンペール

CML発症後年数 5~6年

内田 浩太郎 さん

内田 浩太郎 さん
(CML発症後年数:6年)

順調な治療中の油断(2018年6月取材)

村上 公一 さん

村上 公一 さん
(CML発症後年数:約6年)

「死ぬかもしれない」と思ったら、物事の見え方が変わった(2012年8月取材)

K.T. さん

K.T. さん
(CML発症後年数:約6年)

富士登山をした時に、体の異変を感じていた(2012年8月取材)